日本のおばさんが、クリント・イーストウッド似のイギリス人と結婚できた理由 25話 さあ、南アフリカへ行こう! その2

ClintEastwood

12月の出発の日。
ロンドンの真ん中、シティ空港に行った私たちは、出発時間になっても始まらない搭乗手続きにうんざりしていた。
なんでも、中継地のフランクフルト空港が雪のため、閉鎖になっているらしい。

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アフリカ大陸南端への旅

搭乗時間に4時間も遅れて飛行機は飛んだが、雪景色のフランクフルト空港に飛行機はまばらで、そこからが問題だった。
ケープタウン行きの飛行機は出た後で、私たちはルフトハンザのカウンターで粘り腰の交渉をし、その日の夜の便をやっと確保することができた。
一晩中飛んで、翌朝、ケープタウンについた。

はじめての南アフリカ

南半球で春だと思っていたのに、そこは肌寒い土地だった。
空港からホテルにタクシーで移動する道中で、ケープフラットという有名な貧民街が見えた。
自分たちで建てたバラックに何千という人たちが住む。
電気は盗電、水が井戸から、そういう暮らしを観光客に見せるツアーがあるというたくましさだ。
マルコムはケープフラットを見て震え上がると同時にとても同情した。
イギリスには麻薬中毒の乞食はいても、そこまでの貧しさはないからだろう。

ケープタウン観光

ケープタウンではペンギンのコロニーやパアルというワインの産地巡りなどを楽しんだ。
マルコムがこだわったのは、アパルトヘイトで有名な、かのネルソン・マンデラが20年以上収監されていた刑務所・ロビンアイランドの見学だった。
そこの囚人はほとんどが思想犯で、来る日も来る日もレンガをつまされ、それを壊させられるという地獄の日々を送ったと言われる。

南アフリカでの暮らし

ケープタウンにはバーティーというマルコムの高校時代の友人も会いに来てくれた。
農場経営で豊かな暮らしをしているとのことだったが、危険だからと猛犬を飼い、24時間監視カメラで門を見張っているという彼の家には招いてはもらえなかった。
いくらお金があってもそんな暮らしは嫌だな、と私は思った。

いざ、ダーバンへ

ケープタウンで借りたレンタカーで回った『ガーデンルート』は快適なものだった。
『ハマナス』とう日本語っぽい場所を皮切りに、サファリを体験し、ダチョウ農場を見学し、現地の住宅を模したペンションに泊まり、モッスルベイ(ムール貝の港)という海辺の町で、マルコム待望の鯨の遠泳を見逃したりと、小さなハプニングがあったものの、無事にダーバンという街まで到着した。
通る町は大きくて立派なショッピングセンターやホテルがあるのだが、誰が客なのかたむろする人々は貧しく、貧富の差が大きくて不思議な感じだった。

車がこない!

そこからブッシュマンで有名なトラケンズバーグ山脈まで、山小屋の車が迎えに来るはずだったのだが、手違いで車が来ないという大ハプニングが!
南アフリカで乗合バスなんて自殺行為だ、と嫌がるマルコムを引っ張って長距離バスでピーターマリッツバーグという街を目指す。
そこまで迎車が来るという。
初めて大きな駅を通り、初めて地元のバスターミナルを利用した。
そこに集まる人々はまるで石炭のような色の肌を持つ本物の南アフリカ人だった。
アメリカ製の長距離バスは快適で、危ぶんでいたマルコムもホッと一安心。
かの有名なガンジーが白人バスから蹴り出されたという逸話が残るピーターマリッツバーグまで一直線だ。
ガンジーの銅像を見ながら待つこと小一時間。
現れたのは、村の何でも屋軽トラ。
ボロボロの軽トラにガタゴト揺られ、私たちは登山基地のサニ・ロッジに到着した。
サニ・ロッジには様々な国から人が集まっていた。
毎年そこでクリスマスをすごすというスウェーデン人の家族もいた。
バックパッカーのお嬢さんたちもいた。
和気藹々とした雰囲気の中で過ごし、翌日はブッシュマンで有名なドラケンズバーグ行きの4WDで私たちは山に向かった。

ブッシュマンたちとの交流

ドラケンズバーグ山脈は3000mの平地が見渡す限り広がり、そこに鶏のトサカのような山の頂上が立つ不思議な地形だ。
ブッシュマンは何百年もの間そこで文字のない、共和的な社会を築いた。
私たちはもうじき公開をやめてしまうだろう洞窟の壁画を堪能し、花畑を通って山頂を目指した。
ブッシュマンたちは不思議な格好をしていた。
毛布にくるまって長靴を履いている。
聞けばそれが彼らの正装だという。
自宅に招いてもらったが、そこは泥でできた窓のない(もちろん電気も水道もない)質素な家だった。
発酵させた甘酒のような飲み物をもらったが飲めなかった。

様々な体験をしたのち、国内便でケープタウンに戻り、帰路に着いた私たち。
マルコムはしきりに「近いうちにもう一度来たい」と繰り返した。

でもその夢は叶うことはなかった。

つづく

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