日本のおばさんが、クリント・イーストウッド似のイギリス人と結婚できた理由 9 中産階級の家庭事情

〜伝統的なイギリスの中産階級とは〜

ブレント・ウッドはロンドンのリバプール・ストリート駅から快速で30〜40分ほどのベッドタウンだ。
ロンドンを東京に例えると、ちょうど埼玉県的なステータス。
駅前の商店街もとくにぱっとしない街だった。
駅前の大通りに出ると、マルコムの黒いローバーがすっと寄ってきて私を拾ってくれた。

マルコムは、ペギーとマルコムに関する次のような話を車の中で語ってくれた。

第1話はこちら

イギリスの中産階級の家庭事情

「ペギーは私の父親の3人目の妻だ。
最初の妻、つまり私の母親・グラディスが亡くなってから、父親は2番目にいとこと再婚した。
その継母はシビルと言って、リサイタルをやるほどのピアニストだったんだ。

でも父親とは上手くいかなかった。
彼女のほうが能力があったからだと思う。
男は自分よりも優れた女性が妻であることを喜ばないからね。

2番目の母親は手術の失敗で、脳に空気がいかなくなって、廃人状態になってしまったんだ。
その後退院してきて、10年近く生きたけど、結局回復しないまま、介護され続けて亡くなった。

そんな状態だったから、私の居場所はなくて、ずっと寄宿舎に預けられていたよ。
8歳上の兄はもう大きかったし父の手伝いができたので、家から学校に通うことができたんだ。

17歳のときに学校を出てから私は下級官吏になったんだけど、自宅から通ったよ。
ずっと寄宿舎だったから、家族と暮らしたかったんだ。

その頃父親が3度目の結婚をした。
同じ教会に通っていたペギーを紹介されたんだ。
話はトントン拍子にすすんで、結婚が決まり、父親と私は、ペギーとペギーの母親が住む家に移り住んだ。
ペギーには弟と妹がいたけれど、いずれも結婚して家を出ていたので、広い家に母親とふたりで暮らしていたんだ」

これがざっとマルコムが語った、ワトソン家の概略である。

ワトソン家について

ちなみに、マルコムの父親・スティーブンは保険の調査員だったという。
保険をかけた人から保険金の請求があったときに、その請求が正当かどうかを調査する専門家で、マルコムの家にはお父さんがその「専門家であること」の証明書が額縁に入れて飾ってあった。

イギリスは日本と違い、階級社会だ。
中産階級に生まれる、というのは教養ある人生の出発点みたいなものだ

マルコムは3歳の時に母親を亡くし、そのため寄宿舎生活を余儀なくされて、大学進学ができなかったけれど、もしもしっかり母親に守られて育ったら、高等教育を受けていただろうと思う。
その証拠に、マルコムのお兄さん・ロジャーはロンドン大学の歯学部を出て、母校の教授になったほどの人だった。

つづく

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