マルコムとの結婚は、4月30日に決まった。
平日だったが日本はゴールデンウイークなので、日本からの招待客がイギリスに来やすいし、イギリス人の招待客はほとんどが引退していたので、平日でも困らなかった。
現役の人もそこそこいたが、イギリスは有給が取りやすいので、休みを取ってきてくれる人が多かった。
私たちが選んだのは、ケント州の海沿いの街、ハイスにある、13世紀に建てられた古城、リム城だった。
平日の結婚式パックー60名招待コースが、予算的にも規模的にもピッタリだった。
イギリスの結婚式の習慣と流れ
イギリスの結婚式は、テーブルプランと言って、座席表を式場の入り口に貼り出す。
私たちもテーブルプランをコルクボードに手作りで飾った。
結婚式のケーキは次男の奥さんに、フラワーアレンジメントは長男の奥さんにお願いした。
素晴らしい出来栄えだった。
お色直し、キャンドルサービス、余興、引き出物はイギリスの習慣にはない。
だが、私たちはそれらを取り入れて、和洋折衷の結婚式をすることにした。
マルコムも和洋折衷が好きで、招待状は桜の花をあしらったデザインにした。
運命の電話
4月初旬。
私は、月末に迫った式に向けて、準備に余念がなかった。
その時は買ってきた引き出物を包んでリボンをかける作業に追われていた。
電話で誰かと話していたマルコムが、書斎のドアを開けて私を呼んだ。
私が部屋に入ると、マルコムは電話を持ったまま、
「4月10日の2時って、時間がある?」
と私に聞いた。
私が頷くと、電話に向かって、
「はい、大丈夫です。妻と一緒に伺います」
と言った。
電話を置いたマルコムは、確認するように、
「4月10日の2時、プリンセスロイヤル病院に予約が取れたから、一緒に来て欲しい」
鈍い私には、まだマルコムの意図がわからなかった。
不整脈や捻挫に、なぜ私の付き添いがいるのか。
医師からの通告
4月10日に、それでも私たちは車で5分のプリンセスロイヤル病院に出かけた。
私の予想に反して、マルコムが直行したのは、神経内科の待合室だった。
予約があったので、すぐに呼ばれた。
診察室にいた女性が、ノーワード先生だった。
下着だけになり、診察台に仰向けになったマルコムの全身を、ノーワード医師は手に持った剣山のような器具で丹念に刺激しながら診察をしているようだった。
15分ほども経っただろうか、ノーワード先生は、私とマルコムに対峙しながら、切り出した。
「私の診るところ、あなたの病気は、筋萎縮性側索硬化症だと思います。かも知れない、多分そうだろう、絶対そうだ、 の3段階で言えば、真ん中の『多分そうだろう』になります」
マルコムの寿命
少しの沈黙の後、マルコムが病気の症状について尋ねた。
「もしこの病気であれば、という仮定論ですが、今左脚に見られる麻痺が、やがて右脚や腕にも進みます。麻痺は嚥下の筋肉、最後は呼吸筋を冒します。呼吸ができなくなると、死に至ります」
「その病気だった場合、あと何年生きられますか?」
マルコムの質問に、ノーワード先生は静かに答えた。
「2年から5年です」
まるで、バッキンガム宮殿が何年で建てられたか、説明するような冷静さだった。
私の視界の中で、 ノーワード先生の白衣が滲んで見えなくなった。
私は流れる涙を拭くことも忘れて、叫んでいた。
「ひどいわ! ひどいじゃないの! 私たち今月、結婚するんです!」
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