日本のおばさんが、クリント・イーストウッド似のイギリス人と結婚できた理由 37話 私たちの結婚式 その2

ClintEastwood

4月30日の朝、花嫁である私は早起きをして、着付けの美容師さんにメイクと打掛の着付けに取りかかってもらった。
なんと、着付けが終わるまで3時間半もかかるのだ。
着付けは、ロンドンに住む日本人の美容師さん。
彼女はインド系のご主人と結婚し、ロンドンで着物の着付けなどをしながら暮らしていた。
振袖から打掛から、彼女は様々な和服の貸衣装を持っていた。

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50代の打掛

お金はかかるけれど私が打掛を選んだ理由は二つ。
まず、着物はイギリス人にとにかくウケる。
次に、カラダのなるべく多くの部分が隠れる衣装が着たかった。
50代の花嫁の肌はやはり見ていてイタい。
花嫁衣装には賞味期限があるのである。
そんなわけで、肌がほとんど露出しない打掛を選んだのだが、床に引きずる打掛に水は大敵、雨模様の空がひたすら心配だった。

奇跡の結婚式

しかし、奇跡が起こった。
着付けが終わる頃、太陽が顔を出したのだ。
式が始まる10時頃には、空は真っ青に晴れ上がり、対岸のフランスが見えるほど快晴になった。

「全く信じられないね」

家族みんながそう言った。

私達だけのお城

イギリスの結婚式は、だいたい、昼前から集まり出して、ドリンクサービス、結婚式、記念撮影、その後に「ウェディング・ブレックファスト」と呼ばれるお食事(朝食ではない、正餐なのだが、なぜかブレックファスト)、そこまでが正式なプログラムで、その後は出し物などが催され、8時頃までにはお開きになる。
だいたい8時間ほどはやっている感じだ。
だから結婚式場で何人もの花嫁さんが歩いている、なんてことはない。
リム城も結婚式は1日1組だけ。
4月30日は私たちだけの城だった。

結婚式当日の流れ

その日も、10時過ぎると招待客が三々五々やって来ては、手渡されたドリンクを持って、中庭で歓談を始めた。
雨は完全に止んでいて、気持ちのいい春の日になっていた。
着付けが終わった私に、結婚式が始まると知らせが来た。
大学院の友人が、楽器の生演奏で式を盛り上げてくれた。
結婚式場は教会の礼拝堂のような感じで、バージンロードを挟んでレースで飾り付けられた椅子が並んでいる。
招待客は椅子に腰掛けて、(多分)初めて見る打掛の東洋人の花嫁と、礼服のマルコムを楽しそうに眺めていた。

式次第はこんな感じだ。
市役所からやって来た係員2名が「結婚するということについて」一通り説明する。
牧師さんの代わりだが、信仰的な要素はない。
そして、式の合間合間に、招待客の中から特に指名された者のスピーチが入るのだが、これが日本とは違う。
大好きな詩を、花嫁と花婿のために朗読することが多い。
私たちのために、日本人1名、イギリス人2名の友人が、素晴らしい詩を朗読してくれた。
最後に、花嫁と花婿の「宣誓」だ。

永遠の誓い

よく知られた「病める時も健やかな時も」というあの質問、そして誓いの言葉。
もちろん全てが英語なので、間違えたり忘れたらどしよう、と気が気ではなかった。

「では、後について誓いの言葉を言ってください。私たちは病める時も健やかなる時も、お互いに支え合い…」

緊張してはいたけれど、誓いの言葉を口にするのは楽しかった。
マルコムも、緊張していたが、やはりその瞬間瞬間を楽しんでいた。そしていよいよ、
「マルコム、あなたはタマキを妻とし、愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」
マルコムが迷いなく、きっぱりとそう誓った時、胸がいっぱいになった。
「タマキ、あなたはマルコムを夫とし、愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」

二人の船出

その言葉を口にした時、感動で思わず涙がこぼれそうになった。
感動的な瞬間は、人生にそんなにたくさんあるわけではない。
でもこの宣誓は、間違いなく感動的な瞬間だった。
私はたくさんの親戚や友人の前で、マルコム・ワトソンの妻になったのだ。
ワトソン夫人になったのだ。
健やかなるときは長くないかもしれないけれど、夫を慈しみ、支えていかなければならない。
私たちを待つ運命が過酷でも、それを恐ろしいとは思わなかった。
嵐の海に、これから2人で漕ぎだすのだ。
でも2人ならきっと、なんとかなる。

明るい陽光の中で、私は限りなく楽観的になっていた。
ALSだって進行には個人差がある。
マルコムの場合も、きっと予想よりも長生きするに決まっている。
私は心の底からそう感じていた。

婚姻届にお互いにサインをした。
マルコムのサインはとても力強い。
両方の息子たちがウィットネス(証人)になって署名してくれた。
式が無事終了すると、記念撮影が始まる。
お日様の光が溢れる中庭で、私たちはたくさんの写真を撮った。
親族が集まって、日本の友人にかこまれて、マルコムの友人が集まって、などなど色々なバージョンで撮影された。
驚くべきことに、写真を撮っていると瞬く間に時間が経ってしまうのだ。
私はお客様への挨拶をする暇もなく、バタバタとお色直しをし、振袖を着て食事の会場へと向かわなければならなかった。
式を通じての司会は、マルコムの親友ゴードンと、その配偶者テレンスが努めてくれた。
マルコムの寄宿舎時代の親友ゴードンはホテルマン。
彼が選んだのは男性の配偶者だった。
イギリスではゲイは珍しくない。
ゴードンとテリーは本当に仲良しのカップルだった。
30年以上も一緒に生活している。

二度目の奇跡

キャンドルサービスは、日本固有の結婚式の演出らしい。
私たちは各テーブルの生花に添えた火花が散るキャンドルに点火して回り、大いに喝采を浴びた。

その頃だった。
第二の奇跡が起きたのだ。
招待客全員が席に着いたあたりで、外がにわかに暗くなった。
見れば、再び雨雲が、城の上空を覆っていた。
程なく雨粒が落ちて来て、あっという間に天気は暗転したのだ。
まるで私たちの結婚式の前半を晴天で飾るかのような、神様からの素晴らしいプレゼントだった。
その日の奇跡のような天気の話は、その後もたびたび話題になった。
私の記憶が正しければ、その月の晴天はその時が二度目だった。

イギリスの披露宴

さて、披露宴に当たるウェディング・ブレックファストの食事はコース料理で、とても美味しかった。
食事の時間には、日本と同様に、スピーチが行われる。
マルコムの息子たちも「父親について」のスピーチをしてくれた。
私の娘は、私のたっての願いで、「日・英・仏3カ国語スピーチ」をしてくれた。
スピーチを3つの言語で話してくれたのだ。
それぞれを理解するお客さんがいたためだが、そのスピーチが大喝采を浴びたのは言うまでもない。
もちろん、本人は嫌がっていたが。

日本式の出し物を披露

食事の後は、ショータイム。
これも日本固有の文化のようだった。
何が始まるのかと、興味津々のゲストたちの前で、私の日本人の友人たちが、歌を歌ったり、バレエを踊ったりしてくれた。
AKB48の歌と踊りを披露してくれた家族&同僚もいた。

死が二人を分かつまで

6時半に駅までの帰りのバスをチャーターしておいたので、ゲストたちのほとんどがそのバスで帰っていった。
後半はたっぷり雨になってしいまったが、それでも本当に素晴らしい日だった。

私たちは、家族たちに囲まれて、幸せな夜を迎えた。
私もマルコムも、疲れてはいたけれど、充実感に満たされていた。

私とマルコムは、その日から夫婦になった。
そして、マルコムの死が私たちを分かつまで、私たちはずっと一緒だった。

つづく

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