大学。
最高学府であり、社会に貢献する様々な知識や技術が生まれる場所です。
ですが、最近の日本では、その本来の意図は薄まり、就職斡旋所と化しつつあります。
時代と共にあらゆる文化は変わっていくものでもありますが、本来の姿とはどういったものだったのでしょうか。
それを求めるには、歴史をたどる必要があります。
今回、我々ロザリー編集部(@Rosalie_web)は、イギリス・ウェールズのアベリストウィス(Aberystwyth)という街を取材をしていた際に、偶然にも街の大学が生まれたきっかけをたどる事となりました。
そこには、街を動かした人々、そしてその意志と共に歩んだリーダーの、知られざるエピソードが隠れていました。
ホテルだったアベリストウィス大学
アベリストウィス大学はウェールズで初めて建てられた国立大学です。
日本では聞かない大学ですが、イギリスの大学ランキングにおける在学生の満足度調査では約90%を誇り、トップ10の常連です。
地域密着型でありながらも、国際的にも名声が高いと言われる所がその満足度の裏付けではないでしょうか。
そんな、アベリストウィス大学ですが、元々は大学ではありませんでした。
現在校舎となっている建物は、最初は壮大なホテルとして建築されていたのです。
しかし、完成前に計画は破綻してしまいました。
それを買い取ったのが、ウェールズ大学委員会でした。
そして、委員会のメンバーの中に、「デビッド・デイヴィス」がいました。
彼は、ウェールズで最初の大物実業家(タイクーン)と言われている人物でした。
鉱夫たちと共に石炭を掘り当て、英国最大の鉱山事業を作った
デビッド・デイヴィスは最初、道路や橋の建設請負業者として名声を得ていました。
後に石炭に目を付け、採掘事業に投資していきます。
15ヶ月間行われた採掘でしたが、石炭が出る兆候はなく、資金が底をつきかけます。
彼は労働者である鉱夫たちを思って、作業の中止を切り出します。
しかし、その提案に対し、鉱夫たちは石炭の鉱脈に近づいている事を信じ、なんと無賃金で一週間働くことを約束しました。
そして、なんとその最後の一週間を経て、世界最高級の石炭を掘り当てることに成功したのです。
デイビットはその石炭を海外市場で取引し、世界的に有名な実業家となりました。
なぜ、鉱夫たちは無償で一週間働くと申し出たのでしょうか。
詳しい話はわかっていませんが、最後の一週間を支えていたもの。
それこそが、デイビットの周囲から愛される人柄だったのでははないでしょうか。
そして、この鉱山事業で起こった奇跡が、アベリストウィス大学でも起こるのです。
市民の力で蘇ったアベリストウィス大学
1867年にウェールズ大学委員会がホテルを購入し、設立に至るまでの間、デイビットは多額の資金援助をします。
1872年に大学は開設。
援助を受けながらも、資金繰りは厳しい中、それでもウェールズでは初の物理学科を開設、最初は26名だった学生が100名に到達するなど、拡大していきます。
ですが、その13年後の1885年、悲劇は起こります。
化学実験室で爆発が起きてしまいます。
損害は、なんと4万ポンド相当(約6億円)。
財政難だった大学にとって、これは致命的でした。
保険金はありましたが、それだけでは既に存続が危うい状況です。
多くの人々が、大学の終わりを考えていました。
ですが、ウェールズの人々は諦めなかったのです。
大学施設の周りに集まって募金活動を行い、なんと破砕した建物の復元に成功します。
鉱山事業の時と同じように、人々の絆が奇跡を起こしたのです。
大学に「デイビット・デイビス記念研究所」がある
また、ディビットの孫は、世界で初となる国際政治学部の設立のために、ウェールズ大学に資金を提供しました。
アベリストウィス並びに大学のみならず、ウェールズ全体において、彼と彼の一族は偉大な功労者として愛されているのです。
【アベリストウィス大学にあるデイビット・デイビス記念研究所】
いかがだったでしょうか。
実は最初、私達はアベリストウィスの役所に、「地域の歴史的な有名人」を教えて欲しいという内容で問い合わせていました。
その返答として、担当の方は「街に愛されている歴史的な人物」として「デイビット一族」を挙げたのです。
なぜデイビット一族がウェールズの最大の功労者であり、鉱山事業や大学の危機においても市民が自ら立ち上がったのか。
今回の調査で、その答えが分かったような気がしました。
これからも、このようなまだ私達の知らないイギリスを紹介していきたいと思っていますので、ご期待ください!
【前回記事:アベリストウィスに愛されている俳優「タロン・エガートン」】
【参考文献】
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